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河東 鈴春 先生
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河東 鈴春 先生 (福田総合病院副院長)

(かとう・すずはる)1952年大阪市生まれ。

79年信州大学医学部卒。大阪大学医学部付属病院泌尿器科研修医などをへて兵庫医科大学泌尿器科助手(小児泌尿器科)。西宮市立中央病院泌尿器科医長。東京都立清瀬小児病院で腎移植を研究。明和病院泌尿器科医長。98年から枚方市の福田総合病院副院長。

ベン・ケーシーにあこがれて

 小学生のころに「ベン・ケーシー」というアメリカのお医者さんもののテレビドラマがあったんです。TBS系で放送されていて、当時は大変な評判でした。1963年頃には 47%という驚異的な視聴率を取っていたということです。ヴィンセント・エドワーズという俳優が若い脳神経外科医を演じ、手術室でてきぱきとスタッフや看護師に指示しながらメスをふるうかっこいいドラマでした。スタンドカラーの白衣も人気で、その後まちではそんなシャツが「ケーシー・ルック」として流行っていました。

 それを毎週見ていたぼくは、難病や大怪我に立ち向かい、大手術を成功させ困っている人を救う、そうした医者になりたいとあこがれました。勇気と知性あふれる医師が、最新の医学を武器にして、人びとの苦しみや悩みを切り取り、社会の問題を解決するーそういう生き方を夢みていました。

 医学部を卒業し、医師になり手術室に入るようになったのですが、ドラマとは違って若い医者にはメスをもたせてくれません。若いベン・ケーシーが手術台でメスを振るっている姿はフィクションだったと知りました。日本の医者の世界は当時も封建的で権威主義、序列があり、助教授になり教授になるという段階を踏んでいかなければ執刀はできないことがわかりました。

 しかし、研修医であちこちの病院を回ってみると泌尿器科ではそうした序列にかかわりなく、若い医者でも実力が備わればメスを持たせるというのです。泌尿器科といえば当時は性病科というイメージがありましたが、本来は外科系なのです。また、尿をつくる臓器は呼吸したり消化する臓器と同じように体にとって大切な器官です。もともと手術が好きで医者を志したものですから<早くメスを握れるのは泌尿器科だ>とこの医局にはいりました。やはり若いうちから手術をしないと上達しないとおもいます。鉄は熱いうちにうてですね。まぁ、少年時代の夢をそのまま素直に追いかけたのです。単純な選択ですね。

病室に鮫の骨やイチジクの葉っぱ

 一滴の血や尿からその人の健康状態や疾患がわかるまでに医学は急速に進歩しています。

医療機器(検査器機MRI,マルチスライスMD-CT,造影エコー・治療機器レーザー、ESWL衝撃波破砕器、超音波破砕器、腹腔鏡、放射線療法、ステントなど)、医薬品もレベルは向上しています。しかし、そうした科学合理主義、万能主義では理解しがたい事もときにはあるのですね。そんなことにぶつかると人間の不思議、生命の神秘を感じることがあります。

 A病院に勤務していたころこんな経験をしました。尿や便がでなくなり、苦しくなって入院した40歳代の男性です。彼は末期の直腸ガンで腸閉塞と水腎症を合併していました。ただちに手術が必要でした。ところが手術や薬をいっさい受け入れようとはしません。民間療法にこだわっているのです。病棟にサメの軟骨でつくったという粉末やビワとイチジクの葉っぱをいっぱいもちこんで「これで治る」とがんばっています。

 しかし病状は深刻で、緊急に手術をしなければならない状態でした。尿や便が出なくなり、腎不全から肺水腫になっていました。でも、とうとう苦しさに耐えかねて人工肛門と経皮的腎瘻造設術(尿路変向術)の手術はようやく承知してくれました。でもこれは姑息的な手術で、これによって一時的に切り抜けてもガンの進行は止められません。

 彼は手術後も病院の薬や治療を拒否して、病室に持ち込んだ葉っぱを煎じて飲んでいたようですが、無事退院しました。その後検査、フォローアップなどで3年ほど通院していましたが、ガンが肺に転移していることがわかりました。

 しかし今度も治療を拒否するのです。前とおなじように得体の知れない骨粉や葉っぱや枯草などを持ち込んで民間療法をおこなっていました。そんなものを持ち込まれると病院としては大変困ったことになります。現代科学の先端にあるべき病院が得たいの知れない骨のようなものや枯れた草木をくすりとして許可しているように思われてしまいますからね。さらに病院の食事もたべません。「白米は体に害だ」というのです。代わりにお母さんが玄米食を毎日自宅から届けていました。彼の病室は、民間療法の本や草、葉っぱ、木の根、強い匂いにするキノコなどがうずたかく積まれ、一種異様な雰囲気が漂っていました。

けれど人柄はよく、明るい性格で院内を歩き回り、誰にもにこにこ挨拶し、他の患者さんや看護師さんのあいだでは有名人になっていました。彼は独身でしたが、「ぼくはもてるから結婚などする必要はないんだ」と言っていました。

 依然として、「医者のいうことをよくきいて、病院が出す薬をのみなさい」と言っても彼はききいれません。そんなことを黙認していて、われわれが考える適切な医療を受けないまま亡くなるようなことになれば問題になりかねません。それはぼくにとっても悔やまれるし、こわいことなのです。

ガンの影が小さくなった

 そのうちぼくは「そうした民間療法が彼の心のよりどころになっているのならそれはそれで意味のあることなのだろう。」と思うようになりました。 「あなたのやりかたを頭から否定しませんよ。どうぞ好きなようにやってください。」となかばあきらめて、医師としては違和感があるものの彼の信念をみとめることにしました。

 ところが数ヶ月後、肺のCTの再検査でみると、ガンの影が小さくなっているのです。<縮小率70%以上、奏効度PR >   放射線や抗がん剤などをいっさい使用していないのにガンが治っているのです。この治癒の理由は理解できないことでした。動物にも植物にも、もちろん人間にも自己治癒力があります。傷つけられ、侵されてもみずからの力で修復する力です。サメの軟骨とかイチジクの葉っぱという物質が彼のガンを治したとは理解できないないのですが、「自分が信じたものが自己治癒力を高めたり、免疫力をたかめてくれた」ということはわかるような気がします。この民間療法もひとつのBRM療法(生物反応修正治療)なのかもしれません。でも、病院の困り者でかつ人気者の彼は、驚異的なガン克服で人間の生きる力の強さと不思議をみせてくれました。科学的見地からは3年以上は生存できないという見解をひっくりかえしてみせました。医師は患者さんの生き方を指示したり、決め付けたりするのではなく、人の生きる力を応援するのが本当の役割なのだとあらためて教えてくれました。

 病院内を歩き回り、だれとでもニコニコ話をし、飾らない性格でマイペースですごすこと、それも病気との闘い方のひとつのスタイルなのだなと教えてくれたのです。信じられるものを追求し、まっしぐらに進んでいく、そうした生き方の力強さに感銘をうけました。

こんな女性もいました    

 腎臓ガンで腎臓を摘出した70歳代の女性です。手術後半年もたたないうちに再発、転移して肺・肝臓・後腹膜に大きな腫瘍ができていました。

 腎臓ガンの治療は手術以外にあまりいい方法はないのです。当時(1990年)インターフェロン療法が注目されていましたが、発熱とうつ病を引き起こす副作用があり、奏効率は20%以下でした。彼女も最初2ヶ月ほどこの治療をうけていたのですが、「注射すると体がだるくなり、置き所がないほどしんどい。いつ死んでもいいから注射をやめてほしい。」と言い出しました。彼女のつらさがよく分かりましたので、インターフェロンを中止しました。

 肝臓や肺に大きな転移があるので<stageWB> ,僕の見立てでは長くて半年の命とおもっていました。幸い痛みを訴えることはありませんでした。彼女は気丈な方だったので「お腹の臓器にたくさんの腫瘍ができ、あと半年の命かもしれませんよ。」とガンの告知をしました。余命の告知については、普通は配偶者か子どもさんなど家族に説明するのですが、彼女は一人暮しでお子さんもいなかったので本人に正直に話しました。彼女はそれを淡々と受け入れたようにみえました。でも、実は違っていたのです。

ガンと共存

 転移の範囲も大きかったのですが、それでも毎回元気に歩いて外来診察に来られてました。彼女のかわいいスニーカーは今でも覚えています。 定期的に診察していたのですが、病状の悪化はみられませんでした。半年後にくわしい検査(CTMRI)をするとガンは広がっていないのです。前回と同じなのです。さらに、半年後もガンは進行していないのです。僕の見立てははずれました。余命告知もまちがっていました。安心するとともに驚きました。何がガンの進行をくいとめたのか不思議でした。

 そこで、一年後に「なにか特別なこと、変わったことはしてませんか。」とききました。彼女は「ローヤルゼリーやサルノコシカケ、アガリスクなど飲んでいた。」と言いました。またも民間療法の力です。びっくりしました。その後も彼女は4年間も元気に歩いて通院していましたが、最後は痛み止めのモルヒネも使うことなく、老衰のような自然な姿で亡くなりました。いままでのケースだと手術して半年以内に再発、遠隔転移していれば約一ヶ月、長くても半年の生存です。ぼくが「半年」と告知してから彼女は5年以上生きられたのです。医学的には説明がつかない、特別なめずらしいケースです。

 こうした療法も効く人には効くー効く例もある。そういう科学的に証明されていない方法には疑問ですが、いまの医学がすべてを解明できるわけではないので否定してはいけないとおもいます。

 彼女はガンの告知を受けた後、民間療法をはじめたそうです。可能性のあることはなんでもやってみようと決心したそうです。サルノコシカケが効いたというより可能性のあることには何でも挑戦してみよう・もっと生きようという彼女の意欲が自己治癒力・免疫力を高めたとおもえます。

 遺伝子の解明がすすみ、ひとのからだのしくみはより細かいところまで知られるようになりました。また、ガン治療も自殺遺伝子治療、抑制遺伝子治療が研究されるようになりました。しかし生きる力、生きようとする精神力、病気と闘う意欲―そうした人の心のしくみ・免疫力との関わりはわからないことが多い。

 メスや薬、最新の医療器械を上手にあつかうことだけが、いい医者の条件ではないのですね。患者さんの病気と闘う意欲・力をどうひきだすか、どう応援していくかー。

そんなことを考えるようになりました。

 

 

 
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             最終更新日 : 2011/06/24